気ままな思考

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help リーダーに追加 RSS <関係の把握と判断>

<<   作成日時 : 2006/08/06 09:23   >>

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 関係の把握と判断をしなければならない理由は、自己主張の中に日頃の不平不満が入ってしまうからである。一見、無謀のようにも見える。それは勿論同化の度合いにもよるわけであるが、「三十分ほど待って、電話して会社にお出でのようでしたら帰ろうと思っていました」とでも言うであろう。相手が友人でなく、上司であったらどうなるであろうか。例に戻って考えてみよう。おそらく「お忙しかったのではないですか」との一語が必ず付いてくるだろうと思われる。これでは「る自分」に任せることはできない。そこでの自己主張はどうなるであろうか。

 これが入った方が人間的といえば、そんな側面もたしかにある。しかし、よりよく生きるためには余分な配慮はしたくない。ここでよく考えていただきたいのは、この例では二人の関係があって、関係の中で自己主張する場面であると言うことである。そして既に述べたように、「る自分」は関係的な存在であり、二人の関係を充分に反映できる存在であるということなのである。相手が初対面である場合、また組織(フォーマルな)の中に決められた関係が存在している場合などはこれと多少違ってくるのである。初対面の場合には関係は存在しないわけであって、「る自分」にまかせることはできない。

 また、組織の中に決められた関係がある場合には、この約束の関係が本人の中で明らかに同化されているならば「る自分」に任せてしまってもいいのである。だが往々にして、同化されていない場合の方が多い。サラリーマンの愚痴を聞いたり、不平不満を聞いてみたりすると、その大半のサラリーマンは組織の中にある関係を気に入らないと思っており、同化できないでのである。確かにこの違いを感じさせるのは二人の関係であるし、当人の関係的存在なのである。そしてその中には今後の関係をどうするとの断定した内容が含まれている。

 また、二人の関係がどうにでもなれとの判断があるのならば、先ほど挙げた無数の理由を、かたっぱしから並べることをするだろうし、関係を維持しなければならないとなれば“相手もOK”“私もOK”という原則に従わざるを得ないだろうと思われる。“言いたい自分さえ確認できるならば、それにまかせて言ってしまえ”との考え方は、現実の中での関係の把握が充分にできておればという条件付きで無謀ではなくなるのである。“私は上司の部下である”という関係は自己主張にどう影響するだろうか。つまり第二のポイントは結局のところ、どういう関係で、どういう関係を維持していこうかという判断であるということになる。
 

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